TAKAYAソロ3〜6(完全自己満作品)


これまでの作品と少し異質な雰囲気の漂う、
己の新たな可能性を切り開いた問題作!

TAKAYA 6/矛盾律-Mujunlitsu-
※試聴音源は容量を抑える為1/20に圧縮していますので実際よりも音質は劣ります
試聴は1分〜2分程度です(曲名をクリックすると試聴できます)
曲名がこの色(紫色)のものはフルコーラスで試聴できます。
(フルコーラス試聴はファイルサイズが大きいので速度環境によってはダウンロードに時間がかかる場合がございます)
1: PARANOIA  2:31
2: 青龍之舞 (8:24)
3: Nemesis  7:59
4: 紫怨-ShieN-  5:57
5: 滅蛇羅鉄道  6:31
6: Topazius  10:54
7: 狂×怒×哀×脈
〜Return of PARANOIA〜
 4:46
8: 矛盾律  7:14
9:鏡花水月   7:44
10: GRATITUDE  5:23
11: 沈める寺
(※ドビュッシー)
  5:27
SE
M&F
ロック系
ハネ系
メタル系
ピアノ曲
理解不能


POP寄
ピアノ曲
ピアノ曲

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■MENU  
 
アーティスト:TAKAYAソロ/ジャンル:メタル、ロック(インスト)
Produced by TAKAYA / Music composed by TAKAYA
Recorded & mixed by TAKAYA at Studio[SPACE-T1,T2]
Drums,Piano,Keyboards,Programming,etc : TAKAYA


アルバム解説

 2006.5.5 完成。 今までのアルバムと比べると少し異質の雰囲気が漂う一枚。
今までのアルバムと比べると、かなり全体的に両極端で、どこかイッちゃってるような曲がわりと多い(笑)。
とはいえ、「Topazius」などピアノ曲のバラードがあったり、比較的ポップ調な「鏡花水月」、最後の二曲はピアノで静かに締めるなど、意外とバラエティーに富んでいる。
 7・8曲目あたりが一番イッちゃっているので理解不能な人は結構いるかもしれないが、そんなことは関係ない(笑)。
 前半に散々暴れまくって最後は静か静かに水に帰っていくかのように終わる「どこか疲れきった感のある」このアルバム。どこか今の自分を確実に映し出しているなぁと思う。

 精神性は極めて闇寄りではあるが、どこか神々しい雰囲気もかなり全体を支配しており(笑)、人間の心理の奥深く、人間という域を越えた何か、その先にある何かを探求している感が曲にも現れていると思う。光と闇とが交錯するいい意味でも悪い意味でも「落ち着きのない世界」ともいえるが、その落ち着きのなさこそが、人間としての「真なる落ち着き」につながると思うのだ。
 これまでの作品は、例えば、「赤と青」というような両極端な何かが別々に存在していて、それが交錯することによる美や苦悩を表現してきたと思うし自分自身もそうであったが、今回のアルバムは、ただ両極端な2つの何かが別々に離れた位置にあるわけではなく、その中間的な位置に無限にある混沌な色をした何か、というものを表現できたのではないかと思うし、自身もそのような「深み」を求めている傾向である。
 また、今回のアルバムでは自身の激化したツーバスドラムの真骨頂ともいえる曲がズラリ並んでおり(まぁこれまでのアルバムでもたいがいアレだが(笑))、今までのアルバムでは一度も使う事のなかったブラストビートというキチガイなリズムが登場する曲も初めてある。これは自身の開放・新たな開拓であり、「音楽性のバランスを保つ」という暗黙の己の作曲における無駄なリミッターを外し、今まで以上に極端で過激な表現をすることで自身の幅をより広めたいという意味もある。
  それでもまだ自身の音楽性のリミッターはかかっている事は確かだ。

人間の底をえぐった何か混沌としたものや狂気を表現するには、本当は音楽ではできないと思うのだ。音楽が音楽であろうとすれば人間の狂気を音楽で表現してもそれはまだカワイイものなのだ。私が本気で人間の奥を搾り出す何かを表現して音楽を作れば、それはきっと音楽ではなく雑音のようなものになると思う。つまり、音楽を音楽として保ちながらも極限までに心の奥をえぐる作品を作りたいというのが今まで貫いてきた音楽製作のモットーだ。   今回はその「音楽が音楽である」ためのリミッターの加減がちょっと緩んだ、という程度、私の心の奥底はまだまだえげつないのである。しかしこの事実が、また人間の深さを証明できる事とも思うし、自分の中でこのアルバムは最高の仕上がりになったと満足している(笑)。
 このアルバムの奥にはこのアルバムの実際の音の数十倍にも及ぶ何かが渦巻いていて、「音の奥」にこそ何かが見える、見えて欲しい、そして考えて欲しい、と創作者として願わんばかりである、、、、が、まぁ別に聴き手がどう聴こうがどうだっていい(笑)。
 まぁ最終的にはただ楽しければいいと思うし、何かわけのわからないような衝撃や興奮が走るだけでもいい、と思っている。細かい事は全く関係なく、ただ、何かを感じてもらえれば最高だ、と思う。


  あと、この作品は「病的」なようでいて意外と遊び心が散りばめられていて、例えば5曲目の「滅蛇羅鉄道」という曲は、アルカンというピアニストの「鉄道」という作品をモチーフに自分のオリジナル要素を混ぜながらも原曲を知っている人ならニヤリとできる作品である。しかしながらその原曲があまりにもマニアックなためにほとんどの人は気づかない、といったところがまたポイントなのである(笑)。
 最後を飾る曲が自分のオリジナル曲でなく既存のクラシックピアノ曲「沈める寺(ドビュッシー)」を自分が演奏して収録、というのも今までの作品にはない試みである。あまりにもこの曲がこのアルバムの雰囲気と一致したため、発作的に収録した。

このアルバムを作り終えて思うことは、人は生き、成長する、そしてそれに伴って音楽(芸術作品など)も成長し、生き続け、変わりつづける(「変わる」といっても中心に軸としてある大切な何かが「変わってしまう」というような何かが失われるとかズレていくというマイナスのニュアンスではなく、「生きているからこそ常に何かが「動いている」というプラスの神秘の意味で)、という事に尽きる。
自分は生きている、そして自分だけでなく、自分が動く事で周りが動き、それがまさに人生であり、それが生きることだという事をこのアルバム制作の長い期間の自分の成長を通じて強く感じた事である。

「自分は生きている!ここにいるんだ!解ってくれ!気づいてくれ!」というような昔の自分の「生の主張」は、本当には「生きている」とは言わないし人間として非常に未熟であると今になって思うのだ。それが若かったからとかは根本的にあまり関係がないとも思う。だって今だって私は若い(笑)
  自分が「生きている」事は、それが周囲と「共鳴」して「互いが生きている」からこそ、「生」は「生」であると思うのだ。「生」は単独で存在しない。それが今までの自分と今の自分との「己の生の主張(音楽を通じて何がしたいのか)」ということの心理の奥の部分の違いである。


 このアルバムは極めて「病的」で、100%の普遍性は正直あまりないと思うが(笑)、、だからこそ「生」を感じれる作品になったと思う。「人が「生きる」とはこういうことだ!」みたいな叫びが聞こえてきそうな作品です(笑)。ただ、今までと変わったのは、上記のように「自分が!自分が!」というような考えが変わり自分が丸くなったところだと思うのだ。同じ「怒り」の表現にしても、自分が自分の都合で『怒っている「だけ」』ではなく、またその理由なども含め、すべては、すべてと共存し共鳴する中から何かが生まれ、何かが動くのである、と。

でもその精神性に辿り着いた先に見えるものも、結局はやっぱり「孤独」だった。

★音質傾向→この最新アルバムは以前までのとかなり音質が違う。特にドラムの音が生生しい音作りにしてあり、以前までの「若干高域に偏った」音の傾向から、もう少しマイルドな音質調整の傾向である。特にバスドラやベースの低音感が以前よりも増していて、ズッシリとプッシュ感のある音にしている。その分、以前までのアルバムまでにはない独特のノリや「重さ」が生まれている反面、殺気や理屈のない疾走感や理屈のない輝きは以前までのアルバムよりも逆に減少していると正直いえるかもしれない。このアルバムは今までの作品の中でも少し「異色」である事は間違いない。しかしながら、やはり、「TAKAYAはTAKAYAだ」という微笑ましさも垣間見れる一枚(日本語謎(笑)) ツーバス連打などでの粒が「ペタンと揃いすぎていない」のはミックスでの音作り傾向での問題で意図的なものであり、より演奏したそのままのダイナミクスを重視するミックスをできたのは自身のドラムやレコーディングの技術が成長した結果なのだろうが、これまでのアルバムの音と最新アルバムの音とどちらがいいとは一概には言い切れないなぁと自分で思うあたりが、不思議なところでもある。

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